人形劇506


色々とあり持病の電波障害のビョーキの大発作引き起こし中…。
完全大爆発状態で…。
だけど…。
落としどころはわかっていて…。
「戻るべき所に戻り、それが無いのなら今すべき事を粛々とやるだけ…。」
まっ、キチガイ爺さん=親爺からの電話があったら出るつもりでやんす。
キチガイ爺さん=親爺は完全なビョーキだし…。
多分耳を覆うような口汚い言葉で罵倒してくれるだろうけど…。
ああ言う人だし、何も期待しない、完全に割り切って対応・対処すれば良いだけ…。
キチンと線引きして巻き込まれなければ良いだけ…。
今は蛇の生殺し状態。
キチガイ爺さんの電話に出れば全て解決。
会社に戻るなら戻り、戻れないなら又他の場所を探すだけ…。
会社に戻ったら、スータンの「コラ!」の声の届く範囲内に居れば良いだけ…。
二人の視界の届く範囲内に居れば良いだけ…。
以前、出会ったベンチャーの社長が言ってた…。
「俺は相手から面倒見て貰おうだなんて思った事は一度も無い。俺が居なければコイツは生きていけないと言う奴がタイプ。だから困ったちゃんでも構わないし、むしろ困ったちゃん大歓迎。困ったちゃんは決して一人で生きてけないから…。困ったちゃんにずっと大人しくしてろ、騒ぎを起こすななんて俺は言わない。絶対に騒ぎを引き起こす事は出来ないんだから…。かえって下手に何もせず騒ぎを引き起こさない方が怖いわ。絶対に反動で想像を絶する大騒ぎを確実に引き起こすから〜。だけど自分が困ったちゃんだと自覚して貰わないと困る…。本人が自分が困ったちゃんだと自覚さえしてさえくれれば幾らでもコッチは対応・対処出来るし、幾らでもフォローと後始末は出来るから…。」
以前、スータンが、「大人しくしているのは、別に家に引き籠ってただ寝ていて何もしない事ではない。面倒を見ている人も自分の事で常に手一杯。その人が本当に自分の事で手一杯な時は、自分のすべき事のみに専念する。又面倒を見てくれる人の手が空いたらその人の所に行けば良い。そして面倒を見てくれる人が忙しくて構ってくれない時、他の人の所に行って遊んで来ても良いけど、自分を全肯定してくれる人の居る集団に行く事。」
「だけど、アンタは常に全否定する人の居る集団に行っては騒動を引き起こしてる。」
「本当に人に甘え過ぎの頼り過ぎ。先ずは自分のすべき事のみに専念する。それが大人しくしている事。」と怒鳴り飛ばされた事もあり…。


さてさてお話の続きでやんす。



思い出したのは、セーラーさんとのカウンセリングのひと時。


ビー子が、「デューさんの所に行きました。」と言ったら…。


セーラーさんは、「相談者は1時間ずっと泣き続け、黙ってそれを見ていてシッカリとカウンセリング料金を受け取ってきたのは、デューさんしか出来ない十八番です。」
「ですが、ああ言うドーンとドッシリした方の所に行けば何故か安心と人は思うものでっすぅ!」
「あれはハッタリ以外の何者でもありまっせーえん。」
「私はデュー先生から習いましたが、本当にあれは駄目でっすう。彼女のカウンセラーとしての資質を疑いっますぅ〜。カウンセラーとしの能力は一切ありまっせーえん。」
「カウンセラーとしての真の実力は、この私の方がハッキリ言って上でっすっう。」
「張り子の虎とは、デューの事を言うのでっすう!」


流石のビー子も口アングリで…。
ビー子は今思うのでした。
クライエントがずっと泣き続けているのみ。
カウンセラーは、それを見守るだけ。
それもずっと1時間やれるのは、相当な実力。
クライエントに対し腹を括って受け止めているから出来る事。
カウンセラーの基本概念は、「受容・共感・自己一致」の3つのみ。
それがキチンと確立されてから、初めて技術が付いてくるんだから…。
テキストの非言語表現の記載に書かれていますって…。
泣き続けているクライエントを1時間見ていてカウンセリング料を戴いて帰ってこれるデューさんは、カウンセラーが何があっても決して外してはいれない基本概念の「受容・共感」が徹底的に出来ているから…。
そしたら、「自己一致」も確固と確立している事となり…。
だから皆が、デューさんの事を「ゴットママ」もしくは「ママ」と畏敬の念を込めて呼ぶんじゃない…。」
「本当、一体、何よ!この人!!」と思うビー子でやんした。

チャンチャン